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成長するために必要なこと

2018年12月05日

【逆転V社長】最年少上場からの倒産。どん底で初めて見つけた大切なものとは?

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杉本 宏之さん

弱冠24歳で起業するや、28歳で株式上場。年収約5億円・個人資産約100億円までのぼりつめながら、サブプライム危機を境に大転落。そこには果てしない地獄が待っていた。

その後、あるきっかけから再び会社を立ち上げ、全盛期と同規模まで成長。しかし、ふと顔を上げれば、以前とは全く違う会社がそこにあった――。

そんな壮絶な経営者人生を歩んできた人がいます。元エスグラントコーポレーション社長、現シーラホールディングス会長の杉本宏之さんです。栄華を極めた時代に杉本さんはいったい何をしくじったのか?そして、どん底まで落ちて初めて見えたものとは?

杉本 宏之(すぎもと ひろゆき)
シーラホールディングス取締役会長

1977年生まれ。高校卒業後、住宅販売会社に就職。22歳でトップ営業担当者となる。2001年に独立し、24歳でエスグラントコーポレーションを設立。デザイナーズワンルームマンションの開発を皮切りに事業を拡大していき、総合不動産企業に成長させる。2005年、不動産業界史上最年少で上場を果たす。以後も業容は拡大したが、2008年のリーマンショックの影響で急激に業績が悪化。2009年に負債191億円を抱え、民事再生。その後再起を果たし、マンション開発とビルの賃貸経営を行うシーラホールディングスを、最盛期のエスグラントと同じ利益規模にまで育て上げる。

起業の原動力は、「自分が住みたい1Rマンションを作りたい!」

杉本 宏之さん

――杉本さんは高校を卒業後、宅建の資格を取得し、弱冠19歳で住宅販売会社に就職。そして22歳のときにはトップセールスとなり年収が2000万円を超えたとのことですが、なぜそんなことができたのでしょう?

僕は中学時代に母を亡くし、父も早くから働かずに生活保護を受けていて、19歳のときに蒸発してしまいました。だから働かなくちゃいけないという大きな焦燥感があり、周りの人よりも圧倒的に働いたんです。普通の人が辛いと思うことも、僕には辛いと感じませんでした。起業した後も、そうした焦燥感がすごくプラスになりました。

――24歳でワンルームマンションのデベロップメント事業で会社をおこされましたが、一番のモチベーションは何でしたか?

当時の都心のワンルームマンションというと、アパートに毛が生えた程度のデザイン性のものしかありませんでした。だから家賃がもう1〜2万円高くてもデザイン性がよければニーズがあるだろうと思ったんです。

そもそも自分自身がそういうかっこいいワンルームマンションに住みたいと思っていました。それなら作ってしまおうと。要は、自分が心からほしいと思うものを世の中に提供したいという純粋な気持ちが一番の原動力でした。

「たぶんあなたは世界中の28歳で一番お金を持っている」

杉本 宏之さん

――その後、起業からわずか4年、28歳の若さで上場までこぎつけます。周りの人や世間から、かなり称賛されたのでは?

そうですね、不動産業界で最年少の上場社長ということで、大きな話題にしていただきました。

世界のさまざまな機関投資家にお呼びいただきIRをしに回ったこともありましたが、各所で「28歳でマンションのデベロッパーをやっているなんて、聞いたことがない」「日本で最年少なのではなく、世界で最年少なのではないか」「たぶんあなたは創業者としては28歳で一番お金を持っている」などと言っていただきました。

それで私も完全に勘違いし、生きているうちに三井や三菱、住友にも追い付けるんじゃないかとまで思うようになりました。いま思えば絶対にありえないのですが・・・(笑)。

――ピーク時の年収と個人資産は?

たしか株の売却もあり、年収は5億円弱で個人資産は100億円弱ありました。

――まだ20代ということもあり、遊びもかなり派手だったのでは?

まだ若かったし体力もあり余っていたので、当時は本当によく働き、よく遊びました。仲間とクラブで一晩200~300万円使うとか、一人200万円ずつ出し合ってプライベートジェットを借りハワイまで行く、といったレベルです(笑)。ロマネコンティを一気飲みして「ワインを冒涜するな!」と先輩に激怒されたこともありました。今となっては恥ずかしい青春の1ページですね(笑)。

――そうした絶頂の時代から、雲行きが怪しくなったのはいつごろですか。

上場から約1年半後の2007年夏にサブプライムローン問題が取り沙汰され、それまで上がり続けていた不動産価格が下落し始めました。それに伴い銀行が全くお金を貸してくれなくなったんです。そこから我が社も、あっという間に転落していきました。

売るために買う、買うために借りるの繰り返し。その結果・・・。

杉本 宏之さん

――あっという間に転落・・・それはなぜでしょう?

我が社はそれまでお金を借りられるだけ借りて不動産を買い、買っては売る、買っては売るを繰り返して大きく成長してきました。市場が上がり目だったからこそそのやり方で急成長できましたが、下がり目になったとたん真逆の状況となりました。

あっという間に債務超過になり、利息も払えない状況になりました。そして2008年9月のリーマンショックで状況がさらに絶望的になり、翌2009年の3月に民事再生を申請しました。

――いまふりかえると、何がいけなかったのでしょうか?

真面目にがんばっていたつもりなんですが、やっぱり勘違いしていたんでしょうね。周りからすごいすごいと言われ、俺はもっともっとやれるんだ!という高揚感がありました。まさにトランス状態。

だから売り上げと利益をひたすら追求し、市場から多くのお金を引き出すために、いかに投資家から評価されるかというのを一番の軸に経営していました。そうしてお金を借りるだけ借り、レバレッジをかけて不動産を買いまくった。結局、それが大きく裏目に出てしまいました。

――その頃は相当に辛い状況だったのでは?

正直、地獄でしたね。民事再生になるまでは毎日、社長室の前に「どうなっているんだ!?」と債権者の方々が殺到し行列ができました。「お金を返してもらうまで絶対に帰らない」という方もいました。債権者のオフィスに連れて行かれ、半ば軟禁状態で「金を返せ」「本当に返せないんです」という押し問答を朝まで続けたこともあります。その頃は本当に誰かに殺されるんじゃないかと思っていました。ある日、ヘトヘトで帰宅してシャワーを浴びたら、頭から髪の毛がポロポロ抜け落ちたこともありました。

――仲間だと思っていた人たちが、突然敵のようになってしまうのでしょうか?

個人としても自己破産をしたのですが、その際の担当弁護士に犯罪者のように扱われたのをよく覚えています。これで本当に財産は全部なのか。何か隠しているんじゃないか。とにかく家の家具から貴金属まで、全部売り払え。あなたは犯罪者みたいなものなんだから、それを自覚しろ、と。今となっては当然の指摘なんですが、当時はショックでしたね。

――そこから再起を図ることになりますが、きっかけは?

経営者の先輩方に激励をいただいたのが大きかったです。
でも、民事再生の清算が一段落した頃、エスグラントのナンバー2で最後まで一緒に泥舟に乗ってくれた湯藤がかけてくれた言葉が一番のきっかけになりました。

そこは五反田の線路沿いの小さなオフィスで、500名近くいた社員も気がつけばたった4名になっていました。私が湯藤に今後はどうするのかと訊くと、「会社でも立ち上げようと思っています」と。ところが、こんな言葉が後に続きました。「でも、杉本宏之が何かやるというなら、話は別。もともとゼロから始めたんだから、もとに戻っただけ。杉本さんがもう一度立ち上がるというなら、一緒にやりますよ。またすごい会社をつくりましょう。」

その言葉によって、僕の中でスイッチが切り替わりました。「よし、もう一度やってやろう」と。その湯藤が現在、シーラホールディングスの代表取締役社長をやってくれています。

みんなが応援してくれたのは、全財産を捨てて、再起を目指す覚悟が伝わったから

――再びゼロからのスタートは大変だったのでは?

エスグラント時代にご迷惑をおかけした方々に頭を下げ、もう1回チャンスがほしいとお金を借りに行きました。そうしたら、みなさんありがたいことに貸してくれたんです。その資金を元手に一つ大きな取引を成功させ、今の会社の基礎を作りました。

――普通はもう一度お金を貸してもらうことは不可能と思いますが、なぜできたのでしょう?

以前からお世話になっていたある有名経営者の方には「お金を貸していただけませんか」と頼んだところ、「わかった。どこに振り込めばいいの?」と、メールで返事をいただき、3億円近くも貸してくださいました。自分で言うのはおこがましいのですが、リーマンショックのときに背中を見せて逃げ出したり、自分の利益を優先しようとする人が多かった中、僕は逃げ出さずにまっすぐ正面から受け止めました。自分の財産を投げ打って、自己破産させて全てを失った上で再起を目指しました。そうした覚悟みたいなものを感じ取っていただいたのではないかと思っています。

――その後、業績は順調に推移し、今やシーラホールディングスは、エスグラントの全盛期と同規模の純資産および純利益があります。以前と変わったところはありますか?

180度変わりました。以前は売買のためだけに不動産を扱い、資本市場から評価されることばかり考えていましたが、今はお客さまからいかに信頼されるか、そして社員からいかに評価されるかという二つの軸を何より大切にしています。

現在「本当によいものを提供する会社を、確実に存続させる」というのを最優先に考えています。

具体的には、以前のように不動産の売買を繰り返すのではなく、売らずに賃貸経営にまわし、その収入だけで社員の給料を払えるようにしました。また社員のインセンティブも以前の倍近くにし、社員の年収も平均150万円ほど上げました。そしてマンションを作るにあたっては、お客さまのために本当によいものを作ろうというのを突き詰め、最終的にはプロである自分たちが本気でほしいと思えるようなものを作ろうというところに行き着きました。

――少し意地悪な質問をさせていただきますが、もしも、またリーマンショックのようなことが起こったら、生き残れると思いますか?

以前と業態が全く違うので、生き残れると思います。具体的には、現在は賃貸収入と管理費収入で経常利益の約6割を占めています。

以前は月に5億円かかっていた販管費も、現在は月9000万円弱です。また所有する約2100戸の物件のうち99.5%以上が稼働しているためストック収入が月5000万円ほどあがっています。

以前は少しでも高く売れるものをというのが不動産売買の基準でしたが、今は自分たちが心からよいと思えるものを作っています。それが稼働率99.5%超という数字に繋がっていると思います。

――今後、金利の上昇もあり得ます。そうなったときにどんな影響を受けるでしょうか?

少なからずマイナスの影響は受けるでしょうが、倒産ということはないでしょう。不景気のことも考えていますし、現在はしっかりとキャッシュがある会社になっていますので。わかりやすく言うと、エスグラント時代と純利益は同じですが、借入は1/3、社員も約450人から1/5の85人に、販管費も1/5になっています。売り上げも1/3になっていますが、純利益は変わりません。

しかも借り入れは全て財務制限条項無しで借りていますので、何期赤字になろうが、債務超過になろうが、期限の利益を失わない契約になっています。金利も多くが固定で借りています。要は非常にミニマムで堅い、いわゆる筋肉質な会社になったのです。

自分が本当によいと思ったものを突き詰める

杉本 宏之さん

――自分たちが本当にほしいと思えるものを提供するというのは、エスグラントの起業時の理念と重なるのでは?

おっしゃる通りです。エスグラント時代は急激な成長でそこから離れてしまい、大きな失敗をし、またゼロから始めたことで、まわりまわって最初の理念や志に戻ってきました。

相対的な成功や会社の市場価値に重きを置いていた時代があったからこそ、今は人と比べないことがとても大切だと思っています。自分が本当によいと思ったものを突き詰める。もちろん、ときには人と比較し、自分に足りないものを客観的に分析することは大切です。

でも結局は、ものごとの価値基準は人それぞれなので、人と比べて落ち込むとか見栄を張るというのは、一番意味がないことだと思うんです。人とは比べずに、自分だけの価値観を通して、ものごとを捉えていく。自分の本質的な価値を高めるには、それに尽きると思うんです。これは個人にも会社にも通じることです。

【本の紹介】
30歳で400億円の負債を抱えた僕が、もう一度、起業を決意した理由』杉本 宏之
不動産投資の”すごい”真実』杉本 宏之

文:田嶋章博/写真:栗原大輔

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